ガレリア・プロバ

ガレリア・プロバ1990年1月発行「La Gazzetta vol.3」


ホアキン・トレンツ・リャド。
彼はミステリアスな作家です。
その作品はひろく、ヨーロッパやアメリカで羨望のまととなっているのに、日本ではほとんど知られていません。
なぜでしょう。

世界地図を拡げて見てください。
スペインはバルセロナ。その沖合、地中海に浮かぶあのマジョルカ島に、静かにアトリエを構えているからでしょうか。

マジョルカは自然を超越した不可思議な島。
とりわけリャドの住むパルマの街は、長い歳月が黄金色に染めた石の壁、狭く曲がりくねった路地、ロマンティックなイタリア様式のベランダが続いています。
それはまるで、魔法への入口を秘めた街なのです。

リャド自身の言葉を借りれば、「パルマは中世の光ともいえる奇跡の街」だそうです。

しかし、私達のリャドは、このマジョルカ島生まれではありません。



スペインはカタロニア地方、バダローナの地に産声をあげました。
9歳でバルセロナのアカデミア・バルスで絵を描きはじめ、その天分はたちまち人々の眼をくぎづけにしました。
同じバルセロナのサン・ホルヘ高等学校で絵画を学び、在学中から多くの受賞を重ね、アミゴ・クージャス・ファウンデーションより奨学金を受けました。

助教授に任命されたのが弱冠19歳。
その3年後には、早くもマジョルカ島にアトリエを開いています。



J.トレンツ・リャド


名付け親から聞いたマジョルカ島の魅力にひかれ、この島を訪れた彼は、スペイン内乱の不幸のかけらも感じないこの島の静謐さに一度にとりことなったようです。

そして彼は、ここを拠点に世界中を旅して歩きます。
考え、描き、壊し、求めて歩きました。
そして画風は抽象から次第に具象へと移行しました。

そしてまず、注目されたのが彼の描く肖像画でした。
リャドは写真のように、聖書の中の預言者の風貌をしています。
黒い髭、深く底知れぬ光をたたえ、それでいて優しさに満ちた穏やかな眼差し。
リャドはその眼で対象となる人間を見つめました。

リャドはこのパルマの街で、15世紀に建てられた古い屋敷をアトリエにしています。
極端に高い天井。金色の壁・・・そのヴィスコンシアンな雰囲気の中に、移動可能なプラットフォームを作っています。

制作中のモデルを空間のあらゆる高さ、あらゆる点から観察し描く為です。

リャドの肖像画。
それは17世紀の巨匠、同じスペイン生まれのベラスケスを超えるとさえ評価されているのです。


ベラスケスは自然主義的な写実に始まり、24歳で首席宮廷画家となりましたが、色と光の融合を極め空気遠近法を完成。

卓越したレアリズムの気品あふれる画風を確立しました。
その肖像画、例えば「青衣のマルガリータ王女」の如く、絵に永遠の命が吹き込まれています。

そして私達のリャドもまた、モナコのキャロライン王女、ジーナ・ロロブリジータ、スペイン国王ファン・カルロス、モーリスシュヴァリエなどの肖像に命を吹き込みました。

依頼主はみな、リャドを人間と神の境界にふれた芸術家と信じているのです。

現代の王様や王女達、あるいはビジネス・タイクーンが競ってリャドに自分の肖像を描いてもらおう、あるいはそのチャンスだけでもと望むのは無理ありません。
王侯・貴族のサロンや書斎を飾るリャドの肖像画・・・
それが日本にリャドの名を伝ええなかったもう一つの理由かもしれません。

しかしリャドは、その画業の舞台をマジョルカ島に限っていたわけではありません。

アメリカ南部で、当時のテキサス州知事夫人の肖像画を描いて絶賛され、とうとう1986年にはテキサス名誉市民に選ばれます。

一昨年(1990年当時)はパリで決定され、世界のあらゆる分野で最も活躍した人に贈られる「パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれています。

スペイン地図


スペインの天才J.トレンツ・リャド2 >> 
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このページは1990年1月26日にガレリア・プロバから発行された「La Gazzetta vol.3」の内容を掲載したものです。


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